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176号 感染症だけではない旅行医学 ~静脈血栓塞栓症・時差ぼけ・高山病を防ぐために~
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CDCは、海外渡航者の健康管理に関する包括的な指針書であるCDC Health Information for International Travel ( 通称:Yellow Book)を隔年で刊行している1)。近年、国際旅行者数の増加に伴い、感染症対策に加えて、旅行に関連する非感染性健康リスクへの関心も高まっている。本稿では、旅行中あるいは旅行に伴って発生する代表的な健康問題である静脈血栓塞栓症、時差ぼけ、高山病について、その病態、生理学的背景、予防策ならびに対処法を概説する。

■ 静脈血栓塞栓症(いわゆるエコノミークラス症候群)

静脈血栓塞栓症の病態とリスク因子

  • 静脈血栓塞栓症( VTE:venous thromboembolism ) は、深部静脈血栓症(DVT:deep vein thrombosis ) と、その血栓の一部が剥がれて肺に到達し生命を脅かす肺塞栓症( PE:pulmonary embolism ) の総称である。VTEは再発しやすく、血栓後症候群や慢性血栓塞栓性肺高血圧症などの長期的な合併症を引き起こすことがある。
  • 血栓形成の機序はVirchowの3要素である静脈の鬱滞、血管壁の損傷、凝固亢進状態に基づいている。長距離旅行における狭く長時間の着席は足の静脈血流を妨げて鬱滞を招き、座席の縁による膝窩部の圧迫が血管損傷や鬱滞をさらに悪化させる。
  • 旅行関連VTEの正確な発生率の特定は困難であるが、4時間を超えるフライトでの絶対リスクは、4,656人から6,000人に1人程度と推定されている。一般にリスクは低いとされるが、個別のリスク因子を持つサブグループではその数値は大幅に上昇する。
  • 航空機内の低圧性低酸素環境よりも、長時間の不動状態そのものがVTEの主要なリスク要因である。バス、車、電車による長距離移動でも同様にリスクが上昇することから、旅行モードに関わらず可動域の制限が血栓形成に大きく寄与している。
  • 身体的特徴もリスクに影響し、身長が1.6m未満の人や1.9mを超える人はVTEのリスクが高い。座席の縁は小柄な人の膝窩部を圧迫しやすく、逆に大柄な人は足元のスペースが極端に制限されることで、静脈の鬱滞が生じやすくなるためと考えられている。
  • 座席の選択も重要であり、窓側の座席に座る旅行者は通路側と比較してVTEのリスクが2倍になる。特にボディマス指数(BMI)が30以上の肥満者が窓側に座った場合、通路側と比較してリスクが6倍まで上昇するとの報告があり、移動の自由度がリスクを左右している。
  • DVTの症状は非特異的で、患部の痛み、腫れ、熱感、皮膚の変色などが挙げられる。PEでは、原因不明の息切れ、胸痛、咳、血痰、失神などが現れる。診断にはデュプレックス超音波検査やCT肺血管造影などの画像診断が標準的に用いられる。

静脈血栓塞栓症の予防と管理

  • 米国胸部疾患学会( ACCP:American College of Chest Physicians)は、6時間を超える移動かつ高リスクの人に対し、「頻繁な歩行やふくらはぎの運動」「通路側の座席選択」「足首で15~30mmHgの圧力を提供する膝下までの弾性ストッキング(GCS:graduated compression stockings)の使用」を推奨している。
  • 薬物による予防は個別の判断が必要である。高リスク者には低分子ヘパリンが検討されるが、ACCPはエビデンスが不十分なアスピリンや経口抗凝固薬の使用を一般的ではないとして、予防目的での積極的な使用を控えるよう助言している。
  • 脱水とVTEの直接的な関連を示すエビデンスはないが、理論的には水分不足は血液の粘性を高める可能性がある。アルコール摂取は利尿を促し、不動状態を助長する恐れがあるため、適切な水分補給を維持しつつ過度な飲酒を避けることは合理的である。

■ 時差ぼけ(時差症候群)

時差ぼけのメカニズムと影響

  • 時差ぼけは2つ以上のタイムゾーン(同じ標準時を採用している地域)を迅速に越える移動により、体内時計と現地時間が一時的に同期しなくなる睡眠障害である。不眠、日中の過度の眠気、認知機能低下、倦怠感、胃腸障害などの症状が、現地到着後1~2日以内に現れるのが特徴である。
  • 人間の体内時計の周期は24時間よりもわずかに長いため、西向きの移動(体内時計を遅らせる)は東向き(早める)よりも適応しやすい。適応速度は西向きで1日あたり1.5時間、東向きでは1日あたり1時間程度にとどまると報告されている。
  • 時差ぼけの重症度は、越えるタイムゾーンの数、現地の光環境、遺伝的要因、薬剤の使用状況に左右される。頻繁な旅行者の場合、慢性的な睡眠不足や概日リズム(「概日」とは「おおよそ1日」という意味)の乱れが健康に累積的な悪影響を及ぼすため、事前の戦略的な計画が極めて重要となる。

時差ぼけの戦略的管理手法[図表1]

  • 出発前の2~3日前から、睡眠時間を1日1時間ずつ目的地の時間へずらす「戦略的睡眠シフト」が有効である。東向きなら早く寝て早く起き、西向きなら遅く寝て遅く起きることで、現地到着後のリズム調整に必要な時間を大幅に短縮できる。
  • 光は体内時計を同調させる最も強力な因子である。概日リズムの最下点(起床時間の約2~4時間前)の直後に明るい光を浴びるとリズムが前進(早まる)し、最下点より前の夕方に浴びると後退(遅れる)する性質を利用して、光の曝露時間を計画する。
  • カフェインは半減期が約5時間であり、日中の覚醒維持に役立つが、就寝前の摂取は睡眠を妨げる。ゾルピデム等の睡眠導入剤も活用されるが、副作用や半減期を考慮する。抗ヒスタミン薬や長時間作用型薬剤の使用は認知機能への悪影響から避けるべきである。

図表1 時差ぼけ管理のための一般的なアドバイス

■高山病

高山病の病態と順応プロセス

  • 高山病の主な原因は高度上昇に伴う酸素分圧の低下による低酸素症である。標高約3,050mでは吸入酸素分圧は海面の69%に減少し、急性曝露によって経皮的動脈血酸素飽和度(SpO2)は88~91%まで急速に低下する可能性がある。
  • 人体は高度5,200mまでの低酸素状態には調整可能だが、急激な上昇は病態を招く。順応には数週間から数ヶ月を要するが、最初の3~5日間で生じる換気量の増加や血液濃縮などの急性プロセスが、高山病の発生を防ぐ上で極めて重要となる。
  • 急性山岳病( AMS:acute mountain sickness) ( いわゆる、山酔い) は最も頻度の高い病態で、標高2,450m以上の高地を訪れる人の25%に生じる。主な症状は二日酔いに似た頭痛で、食欲不振、めまい、疲労、吐き気などを伴う。通常、高度上昇後2~12時間以内に発症する。
  • [図表2]は高度上昇に伴うSpO2の期待値を示している。1,500mで93~97%、2,500mで90~95%、5,500mでは70~80%まで低下する。パルスオキシメーターを用いて順応の経過を把握することが推奨される。

図表2 高地へ登った際の動脈血酸素飽和度(SpO2)の予測範囲(1~2日間の順応後)

重篤な高山病の診断と治療

  • 高地脳浮腫( HACE:high-altitude cerebral edema)はAMSの重症型であり、運動失調や意識障害を特徴とする。24時間以内に昏睡に至る危険があるため、発症した場合はデキサメタゾンの投与と並行して、緊急かつ即時の下山が生存のために絶対的に必要となる。
  • 高地肺水腫( HAPE:high-altitude pulmonary edema)は肺の血管収縮が原因で生じ、激しい呼吸困難や血痰を特徴とする。HACEよりも急速に死に至る可能性があり、初期症状である運動能力の低下を見逃さないことが重要である。酸素投与と速やかな下山が最も効果的な治療である。
  • アセタゾラミド(商品名:ダイアモックス®)(125mgを1日2回)は炭酸脱水素酵素を阻害し、代謝性アシドーシスを誘導することで呼吸を刺激し、順応を促進する。通常3~5日かかる順応プロセスを1日に短縮できるため、急激な高度上昇を避けられない場合に有効である。註釈)
  • 高山病の予防の鉄則は「高く登り、低く眠る」ことである。標高3,000mを越えた後は、就寝場所の標高を1日500m以上に上げないようにし、さらに1,000m上昇するごとに順応のために同じ高度で連泊することが、AMSのリスクを軽減する。

高地旅行における既存症の影響と禁忌

  • 既存症を持つ旅行者は、出発前に病状を安定させる必要がある。不安定な狭心症、発症から90日以内の心筋梗塞や脳卒中、重症の肺高血圧症などは、高地への上昇が禁忌とされるため、専門医による事前の詳細な医学的評価が必要である。
  • 十分にコントロールされた喘息や糖尿病、高血圧、安定した精神疾患を持つ場合、高地への上昇による追加のリスクは低いと考えられている。ただし、糖尿病患者は高地での運動強度の変化による血糖値の変動に注意し、適切にモニターすべきである。
  • 閉塞性睡眠時無呼吸症(OSA:obstructive sleep apnea)を持つ旅行者は、高地で低酸素症が悪化しやすいため、アセタゾラミドの使用を検討すべきである。重症のOSA患者は、持続陽圧呼吸療法に加えて補助酸素の併用が必要になる場合があり、電力確保も含めた計画が求められる。

 

[註釈]
ダイアモックス®を日本で高山病の治療や予防に用いることは保険適用外(自由診療)になる

文献

  1. CDC. 2026 Yellow Book.
    https://www.cdc.gov/yellow-book/hcp/contents/

矢野 邦夫

浜松市感染症対策調整監
浜松医療センター感染症管理特別顧問